墨流しと音響彫刻

墨流しと音響彫刻

「作曲するということは、われわれをとりまく世界を貫いている《音の河》に、いかに意味づける(シニフィエ)か、ということだと気づいた。」⑴ 

武満徹のこのことばは、きっと後鳥羽院にも響くだろう。

 墨流しは中国の流沙箋が伝わったとされるが明確な時期は不明である。古今和歌集に墨流しを詠んだ歌があることから、9世紀以前には墨流しのようなものが日本に伝わっていた事になるだろう。墨流しは水面に墨を滴下し自然の動きを可視化する行為である。現存する平安期の西本願寺三十六人家集や扇面法華経冊子の墨流し料紙は、伸びやかな線が特徴であり、鎌倉期になると、柾目肌のような高密度の形が増える。江戸期には山路文様のようなデザインの様式ができて越前墨流しという産業も発達した。それぞれの時代の変化に明確な線引きは出来ないが、時代の流れとともにデザインの変遷が生じていたことはとても興味深い。そしてそのデザインの変遷を辿ることで新しい表現を生み出す事ができる可能性を墨流しは秘めている。

 平安時代に最盛期を迎える料紙装飾のデザインは自然への敬意や憧憬といった表現が多く見られることは研究者も語っている。数ある料紙装飾の技法の中の、その一つであるとされる墨流しは、装飾の技法として伝わったというのが定説になっているが、それは本当に墨流しの本質なのだろうかとこれまで、考えてきた。現存する数が、他の料紙装飾に比べて少ないことからも、そもそもは料紙として生産されることよりも、墨流しの行為自体が宮廷貴族の遊びや、または占いのように日常にあるものになっていたのではないだろうかと、ぼくは考えている。それは多くの和歌にも詠まれたように自然の流れを、五感で感じ生活していた平安貴族たちの美的観念でもあり、毛筆で書かれる、たおやかな線や、墨流しの静かに滴下された墨が水流に従い緩やかに延びるとき、自然と自分が共有する空間の余情に触れていたのではないだろうかと、思いを巡らせる。そしてそれは、いにしえの失われた感性などではなく、現代の日本にも「間」や「余白」という言葉として残っている。

 目には見えない間や余白を、音でとらえた武満徹の著書には『音楽の余白から』という素敵なタイトルのものがある。武満は、「日本人は音によって表現(あらわ)そうとするより、音を聴き出そうとすることを重んじているのではないか、と感じることがある。「間」とか「さわり」のようなことばは、表現における実際的な技術上の意味を示すものでありながら、同時にそれは、形而上的な美的観念でもある。」 と述べていて、自然に有るものを聴き出そうとすることが間というものをとらえることで、さらには「たとえば、簡単に言えば、お寺の鐘の音がゴーンと一つなると、次のゴーンが鳴らされるまでにはのんびりとした時間があるわけです。それは西洋的意味では、拍のない“間”であるのです。確定化できない、定量化できない間としてあるわけです。(中略)つまり、実際に演奏した音そのものによって何かを伝えるというよりも、音が演奏されることでそこに作り出される空間が、日本の音楽では大きな役割を果たしているわけです。」 というように、間や余白を音によって生じる空間としてとらえている。それは仮名で書かれる線や墨流しの表現の余白にも通じていると思う。武満徹が、村上華岳や篠田桃紅の線のことに言及しているのは偶然ではないだろう。

 平安時代からおよそ1000年後、前衛音楽・書道の時代からはおよそ80年後のぼくたちは高度に発達した文明の中に生きている。インターネット、メタバースの世界が加速していく現代では、余情は仮想現実と化し、想像は露骨といっていいほど正しく明確に具体化されていく。余白は感じ、聴き、見出すものではなくなり提供され共有される。速いスピードで正確に更新されていくメッセージは言葉の余白や間を削がれているようにも思う。武満は「語彙がふえてくることは、物事を正確にしようという意思があるからだろうし、昔のように一つの単語のなかにたくさんな意味をこめていたというのではわれわれの現代の生活のなかではぐあいが悪くなってきているからでしょう。しかし言葉は、ぼくにとっては、そうなれば正確になっていくけれども、ある意味では非常に痩せたものになってしまう。でも、言葉そして音楽は、まず痩せてはいけないと思うんです。」 と語った。情報が増え正確に速くなって行くほど利便性は高くなるけれど、失われていくものもあるのではないだろうか。平安貴族たち自然から借景した余情や、武満徹が聴いた余白の音は、いまもこの世界に有るはずなのに…。

 かつては自然の流れや風の作用で表現されていた墨流しを音の振動によって表すことは、墨流しを継承し新しい領域へと向かうことができる方法の一つだと考えている。それが墨流しと武満徹の作った音響彫刻を融合させた《音響墨流し》なのだ。そしてそれは、平安文化の余情の表現と、武満徹の音の余白を繋ぐことができるという証明でもある。音も墨線も同じように空間に余白を生み出すことができる、そしてその余白に環のように流れている余情を感じ、聴き、見出すことができるということだろう。

「私には、音と水は似たもののように感じられる。水という無機質のものを、人間の心の動きは、それを有機的な生あるもののように感じ、また物理的な波長(言葉の神秘的な暗合)にすぎない音にたいしても、私たちの想念は、そこに美や神秘や、さまざまな感情を聞きだそうとする。」

 その武満の文章を読んだとき、音響墨流しのことを言っているのではないだろかとさえ思えた。そしてそう述べた武満徹が杉浦康平と作った図形楽譜は、音響墨流しの模様のようだった。

⑴ (武満徹「武満徹著作集⑴音、沈黙と測りあえるほどに」新潮社、2000年、28p)

⑵(武満徹「武満徹著作集⑵音楽の余白から」新潮社、2000年、74p)

⑶(武満徹「武満徹著作集⑴音、沈黙と測りあえるほどに」新潮社、2000年、367p-368p)

⑷ (武満徹「武満徹著作集⑵音楽の余白から」新潮社、2000年、207p)

⑸(武満徹「武満徹著作集⑵音楽の余白から」新潮社、2000年、128p)